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雪虫について語ろうか
一昨日のデイリーエッセイ(すみません、昨日は書く余裕ありませんでした)で、雪虫のことに触れたら、面白いコメントをいくつもいただきました。ありがとうございます。
だからまずはその返信という意味も含めて、雪虫のことに触れてみるなりよ。


雪虫。20年ほど前、北海道を旅しているときに初めてその存在を知った。
でも目にすることは時期的に叶わず、想像力をはたらかせることしかできなかった。
その後、4,5年、晩秋の北海道に通ってみて、やっと会えたとき、その神秘的な浮遊感に心を惹かれる一方で、つかまえて見てみると実にみすぼらしい虫だったというギャップの大きさに驚いたものだった。

それもそのはず、この雪虫の実体とはアブラムシ。僕ら、農的生活をしている者にとっては天敵ともいうべき憎き害虫であり、その小ささたるや目ヤニ以下というものなのだけど、ある種のアブラムシが特殊な条件下では翅を得て飛べるようになるのだという。
その翅が生えると、身体全体が白い綿で覆われたように見え、まさに雪を呼ぶ使者のように見えてしまうのだ。それが雪虫。またの名を綿虫とも言う。
代表的な種は「トドノネオオワタムシ」というもので、トドマツの根に巣食って初夏から秋までを過ごし、10月下旬から11月上旬の初雪前の時期にトドマツを抜け出しヤチダモの木を目指して飛び立つのだという。
あ、これはあくまでも北海道の話。トドマツの生えていない信州では、別の種が生息しているのではないかと思うのだけど、僕にはそんな知識がない。ネットで検索しても同じ種なのかよくわからない。
時間があれば信大の図書館へ行って調べてくるのだけど、さすがに今はそんな余裕がないので、今年も僕は謎を抱えたまま、雪虫の飛来を見ていたのだ。

でも、アブラムシとはいえ、こんなに優雅な姿でひらひら舞うのを見ると、そしてそれが雪の前兆であるということに、僕らはいろいろな想いを馳せてしまう。
僕自身、雪虫に主人公の心を投影した小説を書こうとしたことがある。でも取材不足で行き詰まり、それっきり10年以上ほったらかしになっているのはここだけの話。
それくらい、僕も雪虫という儚げな存在に魅了されているのだ。

そう、ふわふわひらひら飛んでいる彼らだけど、その軽さゆえに意図しない物体に吸い寄せられるかのようにぶつかって綿毛がはじけると、目指すヤチダモの木にたどり着くことなくてもその短い生涯を終えてしまうのだ。
だから、雪虫の飛ぶ中歩いていると、実にたくさんの雪虫の亡骸が服にこびりついてしまったりもする。それもまたいとをかし。

つまり、僕の思うところの雪虫とは、絶望的なまでに儚い想いの結晶のメタファーなのだ。

当初は青春の1ページを切り取って、初雪のような淡い恋心を描いてみようかと考えて書き進めていたその小説なのだけど、今になってみたら、青春よりもある程度年齢が行ってからの「絶対に叶うことのない」大人の淡い恋のイメージの方がしっくりくる感じなのだ。

それは僕が歳をとったからなのかもしれないとは思いたくない。ただ、青春には絶望は希望につながっていくエネルギーを秘めて存在する。アラフォー世代にもなると、希望にはつながることのない絶望が確実に存在していることをいろんな場面で経験しているわけで。

この年齢になっても、まだ純文学を愛しつづけてきた文学青年の青臭さが僕にはまだ漂っているようだ。

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写真は本文とはあまり関係ありません。
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【2008/11/22 22:55】 | log | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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