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焚き火の脳内麻薬、そして物思ふ。
今日は天気予報では1日晴れだったのに、実際は朝9時ごろまで、雨が降っていた。(たぶん、これはもう少し気温が低ければ雪になるタイプの降り方だった)
だから二度寝したりして、3連休で消耗した体力の回復ができただけでもありがたかったと思うようにしよう。

    

いよいよ今週中にはたまねぎの植えつけをしたいということで、夏野菜の片付けもラストスパートに。
うちの庭が乾いてきたことがはっきりわかった午後3時、いそいそと畑へ。カセットボンベ式のガスバーナーを片手に、先日全部倒したトマトやオクラや豆類やその他の雑草をまとめた山に火をつけていく。
IMGP0118.jpg
生の草はなかなか燃えないので倒して1週間近く放置して乾かしたのだけど、今朝の思わぬ時雨にまた湿っぽくなっていてなかなかキレイに燃えてくれない。だからと言って今週中に植えつけるにはもうタイムリミットなので、力技でやるしかない。
しばらくバーナーで同じ場所をあぶり続けてなんとか炎を上げてくれて一安心。

燃えて残った灰、すなわち「草木灰」は土壌をアルカリ化するとともに、肥料としても役に立つ。
本当は自然農法的にはあまりよろしくないやり方なのだけど、とりあえずひと夏やってみてまだ不耕起無肥料でやるにはふさわしくない土壌であることがわかり、何年かは普通の有機農法をベースにするしかない。
100%畑にすべてを賭けられる状況ならば、もっと自然農法的なアプローチもできるのだろうけどな。しばらくは試行錯誤が続いていくけど、それもいいものだ。
何を求めて安曇野に移ってきたのか、自らに問うてみれば答えはおのずと出てくること。

今年用意したたまねぎの種は赤たまねぎ2種類、普通の黄たまねぎ2種類で合わせて400本ぐらいの苗が育っている。でも植えつける面積からしてもうあと100本ぐらい苗を買ってきてもいいかなという感じ。歩留まりが8割として、400玉のたまねぎ(それも半分以上は高値で売れる赤たまねぎ)ができれば万々歳。僕が一人で食べられるたまねぎは年間100玉もあれば十分だから、300玉は何らかの形で出荷したり、友人たちに分けよう。
でもできるだけ自然に近い形での有機農産物という価値をわかってくれる人に食べて欲しいもの。
まぁ、とらぬ狸の皮算用だけどね。

    

IMGP0123.jpg
火はときどき弱くなり、ところによってはまたすぐに消えてしまうので、バーナーを手放せないまま1時間半。あたりは一気に暗くなる。
まぁ、風の弱い日、それも凪いでくる夕方だったから、引火の心配がなかったのは助かったけど。

それでもまだ燃え残りがたくさん、暗くなってもいいから今日中にできる限りのことはやっておきたい。

今日の一番のニュースは、やっぱり小室哲哉逮捕だろうか。
TM Networkファンが周囲に結構いたし、90年代の破竹の活躍ぶりはまだまだ記憶に新しいけど、正直言って僕は彼のサウンドメイクが大嫌いだった。
だから、小室ファミリーが音楽界を席捲していた頃は、もともとシンセサイザーでの音作りを楽しんでいた僕をアコースティックな路線に向かわせた。そしてボサノヴァ・ギターに挑戦したくなったのだけど、住宅事情ゆえに諦め、音楽が僕の生活から遠ざかっていったのが10年前。

ある意味、ひとつの時代が終わり、転落しきった男の哀しみを僕は小室に見た。
一度生活のレベルを上げてしまうと、それを身の丈に合ったものにしていくのは本当に困難なのだろう。
作曲家にとって一番の存在意義である著作権を売ってまでやっていかねばならないというのは、本当に哀れというしかない。聞けば詐欺をはたらく以前に既に代表曲の多くの著作権が売られ、彼の手元にはなかったという。その時点で、彼は人生を諦めたのだと思えてならない。

表現者として、自ら表現したものにかかわる権利を放棄することは、自らの否定につながるもの。
これはまだブレイクしていない僕でもよくわかる。それもお金のためだけにということは、本当に情けない。

嫌でも毎日小室の曲を聞かされていた日々、頭にいろんなメロディーが思い浮かぶけれども、やはりつまらない曲ばかりだと思う。大量生産大量消費型の音楽。
だから、彼の栄光はほんの10年程度しか続かず、飽きられたのだろう。

過去の栄光にしがみついて金に執着するぐらいなら、まだまだ麻薬でもやってたほうが健康的だと思えてしまうのはなぜだろう?

そう、焚き火の視覚と嗅覚、そして煙による痛覚の効果で、僕は脳内麻薬が相当量分泌されているのだろうな。

    

IMGP0124.jpg
晩秋の日暮れは早い。あと半月もすれば、この有明山麓は午後3時過ぎには日が当たらなくなってしまう寒い時期に突入する。
洗濯物の乾かない憂鬱な時期。

でも冬は冬の美しさがこの地にはある。
お金がなくてもこの自然があればこそ、僕はきっとこの地で生きていける。

いろいろ物思ふ晩秋の夕暮れどき。

火が自然鎮火するのを確認して、僕は家に帰る。
明日も焼ききれなかった草を焼かなくては。
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【2008/11/04 19:28】 | 農的生活日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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