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光芒、そして流星群
雨の降った次の日は、畑仕事が盛りだくさん。昨日の朝も5時過ぎから、最後に残った豆類の苗の植え付けをするものの、あと100本近く残してタイムオーバー。6月に畑をサボったツケが回ってきてるわけで、こんな条件の悪い暑い時期に植えられる苗たちがすごく可哀相だけど、この悪条件でもしっかり育ってくれたら、それは来年以降に使う種としてしっかり保存していこう。種の選択。より自然な形での農業を求めるならば、そのように自然に選択されていくものが僕の畑に残されていくわけだ。ダーウィンの理屈を知らず知らずに検証している日々。
農業で儲けることはまだしばらくは僕には考えないほうがいいのだろうな。無償の愛をもって自然と接していこう。大切な人に対してと同じように。

ひつじ屋から帰り、再び畑へ。薄い雲を通して差し込む太陽光がどことなくやさしく感じられる。
こんな日は僕が安曇野の夏でものすごく好きな自然光の造形を楽しむことができる。
CIMG0156.jpg
それが光芒。雲の切れ間から光が幾筋にも、太陽から放射状に広がっているかのように見える現象。キリスト教文化圏では、旧約聖書に出てくるエピソードにちなんで「ヤコブの梯子」とか「天使の梯子」とか呼ばれてもいる。
その光芒の一番の末端の畑ではダーウィニズムを実感している一方で、それとまったく対立してきたクリスチャニリズムをも見てしまう真夏の黄昏近くの時間。
CIMG4116.jpgCIMG9132.jpg
光芒はなぜ起こるのだろうか? それは大気中の小さな水滴に太陽光が乱反射して、光の集中した部分ができることによる。スモークやドライアイスで煙の立っているステージに、遠くからスポットライトやフットライトが当てられることで、その光の筋がはっきり見えるのとまったく同じ現象だそうだ。
安曇野の場合、3000メートル級の山々がすぐそこまで迫っているのに、とても広い空を持っているという条件が、まさに神々の頂へのスポットライトのように光芒を浮き上がらせてくるのだ。
その美しさは、毎日見ていても見飽きない。これがあるからこそ、真夏の暑すぎる屋外の仕事ですら楽しいと思えるのだから。

折りしも昨夜は「みずがめ座流星群」が極大を迎える日。雲の多さに夜空は期待薄かもと思いながらも、やはり空を見上げてしまう。南東の空に流れ星が見えるはず。でも、残念ながら昨夜は雲に覆われて見ることはできなかった。
その前夜の思いきりクリアな星空をしばらく見つめていられたから、まぁよしとするか。だって昨日の夕方、光芒が夜闇に消えつつある姿を見ていたまさにその瞬間に、「昨日(=僕がクリアな夜空に感激していた一昨日の夜)、ひとつだけ流れ星を見ました。ありがとう。」と、一昨日体の不調もあって一日辛い想いをしていたという友人からメールをもらったことに、僕はとても嬉しかったのだ。落ち込んでいた大切な人にさりげなく希望を与えられる、そんな夜空を見せてあげられたこと。隣りに寄り添って支えてあげられなくても、ケータイのメールひとつでちゃんと支えてあげられたことに、まだまだ僕も捨てたもんじゃないなとほんの少し幸せな気持ちになった。ありがとう。

流れ星に願いを唱えることはとても難しいことだけど、たぶん僕らはそれを見るだけで幸せな気持ちを取り戻せるのだろう。

昼と夜の自然光のなせる業。僕らはこの地に暮らしていく。
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【2008/07/30 05:11】 | log | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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