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AZUMINO JugBand 解散まであと4週間
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友人のイラストレーター、ひでさん(中武ひでみつ)のとても熱い一言で結集し、この春から2009年限定プロジェクトとして楽しんできたAZUMINO Jug Band。
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音楽は子供の頃から苦手だったけど楽しそう、と言って参加してくれた人から、僕のようなアマチュア・バンド、弾き語りとしてやってきた人、そして音楽的に頼もしく支えてくれるプロのミュージシャンまで、今、メンバーは何人いるかわからないくらいに膨れ上がりつつも楽しくやっているバンド。

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このバンドをやってきたおかげでたくさんの出会いがあった。
たくさんの宝物ができた。
一匹狼を気取っていた僕も、仲間と何かを作り上げていく歓びをもう一度知ることができた。
そんな思い入れの深いバンド。

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この秋は本当に毎週のようにどこかでライブをやっていて、メンバーの呼吸もすごく合ってきたところでここで解散してしまうのがとても惜しまれるといろんな人に言ってもらってるのが、僕も約20年ぶりに本格的にライブ活動をするようになったミュージシャン冥利に尽きる。

でも、花はどんなにキレイに咲いていてもしかるべき時期が来れば散っていく。その散り際こそが一番の見どころ。
もっと近いところでは、紅葉。日一日と色づき、一瞬の輝きを見せるのはほんの数日、気がつけば落葉を踏みしめて僕らは歩いている。

だから、最後の1ヶ月間、怒涛のように予定されているライブ、ぜひお見逃しなく。

11月29日(日) 松本市内某所のデイケア施設慰問ライブ (非公開)
12月5日(土) 塩尻アイオナ教会 「生活困窮者支援チャリティーコンサート」 出演
12月19日(土) 松本・Mウィング 「ゆめ実験室 クリスマスコンサート」 出演
12月27日(日) 安曇野市穂高交流学習センターみらい AZUMINO Jug Band 解散ライブ


詳細は別途お知らせします。
ほかにもサプライズで少人数編成で演奏することがあるかもしれません。そのときはこのblogでご案内します。

僕もこのバンドに参加して、苦手だった弦楽器を「初めて音楽をやる」仲間たちとのレベル合わせのために久しぶりに手にしたのだ。ベース、それも絶滅危惧種のアップライトじゃないアコースティック・ベース。
正直言って中国製のこの楽器は暴れん坊で、ちょっと荒っぽい弾き方をするとすぐにチューニングは狂うわ音も外れてくるけど、そこがまた憎めない、そんな人間的な楽器。
音楽をしっかりやるなら、20世紀が生んだ名器ジャズベースに敵うものはないというのもわかっているけど、あえてこの楽器を選んでみて本当に楽しかった。
最近ようやくアンプラグドでも少しグルーヴ感を表現できるようになってきたところなのでまだまだ続けてみたいとも思う。

一方で先日、まつもと市民祭で代役で鍵盤を弾いたとき、僕にとってはやっぱりピアノが音楽に接する原点だったことを思い出して本当に楽しかった。音楽って自分が得意なものもチャレンジングなものも、どちらも僕を充たしてくれる素晴らしい魔法だと改めて思ったのだった。

ぼちぼち音楽仲間たちとは、解散後のプランを話しはじめているけれど、僕は来年は鍵盤での弾き語りとDTMでのサウンドメイキングをソロ活動の中心にしていこうと思っている。大好きなジャズやソウルの薫りのする音に日本語の歌詞を載せて歌いたいし、誰か素敵なヴォーカリストに歌ってもらおうと思う。
そして、仲間たちのサポートも、アレンジ、鍵盤、コーラス、ベースなど喜んでやっていこう。所詮趣味レベルでしかないけれど、昔取った杵柄、僕のスキルと感性が地元の音楽を愛する仲間たちとよきケミストリーを起こしていけたら、それだけで旅に出るほどの時間もない休日は最高に楽しくなるはずだ。

AZUMINO JugBandはあと4週間で終わってしまうけど、まだまだ僕らにはたくさんの未来があるはずだ。お楽しみはこれからだ。
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【2009/11/29 08:41】 | 田園音楽生活 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
昔の記憶ってどうしてこんなにも・・・
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1985年に日本で初公開され、大きな反響を呼んだスペイン映画「ミツバチのささやき」(ヴィクトル・エリセ監督作品、1973年)。
製作から10年以上を経て日本に紹介されてきたという話題性もあったが、何よりもポスターの小さな女の子の黒目の大きな瞳に吸い込まれるようにして、当時受験生だった僕も映画館へと足を運んだ。

その頃は今の映画館のような料金割引サービスはほとんどなく(せいぜい年に2度の「映画ファン感謝デー」ぐらいだったか)、ただでさえお金も時間もない大学受験を控えた高校3年生には映画館というのはかなり遠い場所だった。レンタルビデオもまだ高く、家で映画でも観ていようものならば母のカミナリが僕に落ちるのは間違いなく、それゆえ当時の僕にとっては映画というのはすごく遠い存在でしかなかったのだ。
それだけに僕にとっての映画への憧れは非常に大きなものがあった。その当時の日本は自主制作映画が興隆してきた時代。まだまだ16mmフィルムが元気だった頃だ。フィルムそのものの値段も現像料も素人には高く、お金のない作り手は一本一本が真剣勝負だった。そして僕もいつか自分の映画を創るのだという想いを持ちながらも結局実現することなく終わってしまったものなのだ。
いや、今は映画制作の世界もハイヴィジョンのヴィデオ・カメラが主流で、家庭用の手軽なものならばちょっと頑張って稼げば僕らにも簡単に手の届く値段なのだから、やろうと思えば今からでも映画を創ることは可能なのも間違いない。もっともこれは機会があればという程度にしか考えていないが、機会はきっとあるような予感がしている。
このムーヴメントの中から出てきた映像作家も多い。僕と同世代からちょっと上(つまり30代後半~40代)の映像クリエーターたちの多くは何らかの形で自主制作映画に関わってきたという、そんな時代だった。

この「ミツバチのささやき」は、確か開館したばかりの六本木の映画館(今でいう「ミニシアター」の走りだろうか)でロングラン上映されていたので、予備校をサボるタイミングを見計らって僕は観に行ったのだ。これも小さな冒険。
そこまで思い入れの深い作品だったというのに、その後もっと僕に対して刺激をもたらしてくれた作品があまりに多すぎて、正直言ってどんなストーリーだったか、ポスターの女の子以外の登場人物の存在すら忘却の彼方へと消えてしまっていた。

この映画の監督、ヴィクトル・エリセはあまりに寡作だということで有名で、その後2本の長編映画をほぼ10年おきに発表しているだけなのだ。この自分のペースを頑なに守るというのは僕にとってはお手本とすべき生き方ではあるけれど、彼と作品を通じてしか出会ったことのない僕にとっては10年のブランクというのは彼の存在をも忘れてしまう。
また、監督の意向なのか、長年DVD化がされていなかったようで、そのうえ日本国内には1セットしかプリントが存在しないということで、記憶に残る名作でありながらその後20年以上一度も観ることはなかった。

その「ミツバチのささやき」と、1984年制作の「エル・スール」(この2本は日本では1985年の同時期に一気に上映されたのだ!) のニュー・プリントが作成され、今、日本中を1ヶ所1~2週間ずつ巡回している。この9月には松本シネマセレクトの上映会としても企画されていたけれど都合が合わずに観られず、10月に長野ロキシー・松竹相生座で1週間上映されたのを観に行ってきた。

この「相生座」は現存する日本の映画館では最古のもので、明治25(1892)年に善光寺のお膝元の繁華街・権堂に建てられている。オリンピック・長野新幹線開業を契機に街の重心が長野駅前に移ってしまったこの権堂のアーケード街自体少々寂れてレトロな感じすらするけれど、それを悠に飛び越えて相生座だけは本当に時間が止まってしまっているかのような重要文化財的な映画館。
でもこの映画館のセレクトする作品はとても良質で、信州の映画好きの心の拠りどころのひとつと言っても誰も否定しない、そんな素敵な映画館だ。もちろん内部は改修されて、最新鋭ではなくても十分現役として活躍できる映写・音響システムを持っている。小さなハコなのでスクリーンも小さいが、それがまたアットホームで僕は好きだ。
ここで思い出の作品を鮮明なニュー・プリントで観ることができることの幸せ。

正直言って24年も昔の記憶は一部分しか残っていなくて当然なのだ。そんな当たり前のことを思って切なくなる2時間弱の上映時間。
そもそも、主人公・アナ(ポスターのつぶらな瞳の7歳の女の子)に姉がいたということすら忘れていた僕。ストーリーも本当にあやふやにしか憶えていなかったことに、青春の儚さと人間の記憶のいい加減さを改めて思ったのであった。要所要所のカットにはそれなりに記憶があったけれども、僕の中では断片的にしか残っていなくて、それがつながっただけでもなんだか泣けてきてしまう。

でも、制作から35年経っても決して色あせることのない名作。ハリウッドのような派手な効果も演出もなく、静かに淡々と進むストーリーだけど、こういう丁寧なつくりをしている映画にはなかなか出会えないものだ。最盛期には年間100本、今年も30本ほど観ている僕でも、その中でずっと心に残るそんな丁寧な作品は年に数本しかない。

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併映の「エル・スール」、1985年に観たつもりでいたけれど、内容がまったく記憶になく、実は今回が初観賞だったのだろうとその場で気づく情けない僕。
なにしろ、当時一番印象的と評されていた、8歳の主人公・エストリリャが落葉する秋の朝の並木道を自転車で出発し、すぐに15歳の少女に成長して帰ってくるシーン・チェンジを、僕は何一つ憶えていなかったのだ。

昔の記憶ってどうしてこんなにも曖昧で、都合のいいようにしか残っていないのだろう。
きっと、それが人間というものなのだ。
24年の歳月というのはそういうものなのだろう。


エリセ監督はまだスペインで健在だそうだ。もちろんゆっくりゆっくりと、1本1本の細い糸を紡ぐように丁寧に映画を撮り続けていて欲しいと願っている映画好きは間違いなくたくさんいる。
きっといつか誰もがすっかり忘れた頃に新作を人知れず届けてくれそうな気がしている。

主演の「永遠のつぶらな瞳の女の子」アナ・トレントは実年齢では僕より1歳年上で、今でも女優としてスペイン国内で活動しているそうだ。大人になって、人生の折り返し点を過ぎた今の彼女にどこかのスクリーンで出会えたらいいなとは思うけど、きっと簡単に気づくこともないだろうな。

記憶というものは、リフレッシュすることできっと確実なものになる。
僕らのメモリーはパソコンのメインメモリー「DRAM」のような揮発性メモリーではない。
常に何らかの形で残り続けている不揮発性メモリーなのだ。
だからこそ、リフレッシュが必要で、頻繁にアクセスして絶えずリフレッシュされている記憶についてはいつまでも色あせないものなのだろう。


だから、僕は心の向くままに、無理せず丁寧に、日々を生きていきたいと思うのだ。
大切な記憶はリフレッシュしながら、さまざまな新しい出会いもしっかり記憶しながら、ゆっくりと、丁寧に。
【2009/11/28 01:26】 | 映画 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
ひと月ぶりの振り返り
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気がつけば11月も残り数日。今年2度目の1ヶ月超の未更新となってしまった。

あまりにも忙しく、あまりにも充実した秋、先週ぐらいから体調も急降下し今週はすっかり風邪ひきで辛かったりもしたけれど、やるべきことは待ってはくれず、結局のところ諦めてしまったこともたくさんある。

たとえば、今年は一度も上高地に行けなかった。
たとえば、今年は一度も中房温泉に入浴できなかった。
たとえば、今年は秋の京都に行けなかった。
たとえば、今年は紅葉をゆっくり眺めていることもできなかった。
たとえば、今年は「安曇野スタイル」だってまったくと言っていいほど関われなかった。
(安曇野スタイルマップの某所のコピーを書いたのは僕ですが・・・それでおしまい)
たとえば、今年は・・・まだまだたくさんある。
たくさんあるけど今年は自分の基盤を固めていく年だと認識しているので、来年以降にお預けでも仕方はなかろう。あまり望みすぎるとバチが当たるはず。

そんな感じでこの1ヶ月をなんとかやり過ごしてきた。
体力的にはもうすっかり限界で、それゆえ今の風邪っぴきにつながっていったのは間違いない。
でも、精神的にとても充実していたこの1ヶ月。自分のことをゆっくり振り返ることをしなくても、前へ前へと突っ走っていくだけで本当に自らが成長していく実感を覚えていた季節だった。

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先月後半の稲刈りから今月は脱穀と、1年目の米作りも無事に実りの秋を迎えた。
10月15日に大部分を刈り取った稲を、途中何度か2日続けての雨に濡れたりしたこともあって、じっくりはざ掛けをして11月10日に脱穀した。
ずっと水を流しっぱなしにできたおかげで雑草取りの手間はまったく省けた反面、水の流れ口側の2畝ほどはほとんど実入りのない状態で、来年への課題がはっきりとわかった。水温を上げる工夫が来年は必要だ。その結果雑草が生えやすくなるかもしれないけれど、それは頑張って取っていくしかないわけで。
来年はもう少し田んぼに時間をかけられるようにうまく労力を配分していく必要があるだろう。

それでも4俵弱の籾を収穫することはできた。ちゃんと収穫できた部分の面積だけで換算すれば反収6俵ほどにはなっていたはずだ。たぶんビギナーズ・ラックなのだろうな。
たいてい2年目は同じ条件でやると収量がガタ落ちするとよく言われている。だからといって来年は今年以上に自然農寄りにシフトしていきたいと考えているので、緑肥の出番。クローバーとレンゲ、春には花も楽しめるかな? 種まきした時期の関係で花が咲く前に起こして代掻きしてということになってしまうかもしれないが、来年もここで米作りをやろうと決心できただけでもよしとしようか。

収穫したその日は籾摺りが間に合わず、暗くなってからコイン精米所で1kgほど5分づきにしてきた。本当は初収穫を祝うべく、玄米でいただきたかったのだが、おめでたいときだから白米でもまあいいか。
とりあえず、うまい。自分で作った米だけにその喜びは格別だ。
後日玄米で、減農薬の特別栽培米のコシヒカリ新米と食べ比べてみたが、まったく遜色のない味でひとまず安心。
この田んぼにはたくさんの人たちの力があってこそこれだけの収穫を得られたのだ。みなさん、ありがとう! 来年はもっといい米一緒に作りましょ。

(ご希望の方には玄米なら1kg500円、白米なら1kg600円でお譲りしたいと思いますが、数量が自家消費分を除くと100kg程度しか残らないので売り切れの際はご容赦ください。お知り合いの方は直接お知らせください。初めての方はまずは僕と知り合いになってください。)

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次は豆類の収穫。
その粒の小ささゆえに本当に大変だった小豆に始まり、大豆3品種(味噌豆、ひたし豆用の青大豆とくらかけ豆)、落花生は収穫完了したが、まだ黒豆が少し残っている。それは脱穀も手作業でやっているから仕方がない。味噌豆(いわゆる普通の大豆)なら脱穀機を使ってもそう簡単には傷まないが、黒豆はソフトな振動の足踏み式でも脱穀機を使うと皮に傷がついたり、ひどいときにはめくれてしまったりで商品価値が全くなくなってしまうので、本当に全部手作業。豆の相場からすると、時給200円程度にしかならない単調で過酷な作業に音を上げそうになっても、なんとか今も頑張り続けている。

(豆もご希望の方に時価にてお譲りします。完全無農薬、自然農法栽培なのでかなり高いですが、ご希望があればお知らせください。)


さらには玉ねぎの定植。
昨年度(今年の6月に収穫)の玉ねぎが一部食べてもらった人に大好評の濃い甘さだったので、味をしめた僕は一気に去年の20倍もの種を蒔いたのだ。
そこらで売っている苗のような太くて元気なものはなかなかできなかったけれども、小さいながらもしっかりした苗は、今、すっかり大地に根付いている。この冬は絶対に雪に埋もれて欲しいのだ。その方が甘みを増すし、雪中の暖かさゆえに歩留まりも大きく向上するのだ。

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その合間にはコンニャクイモ、キクイモ、サトイモなどの収穫も。
掘っていたら思わぬところからジャガイモ(オオシロ)が出てきて、本当にびっくり。
残念ながらサツマイモはほとんど収穫できなかった。植えたところの条件がサツマイモにはあまりによろしくなかったようだ。

なんだか米が増えた分と、豆の作付面積が一気に30倍になったこともあってか、全体的に予定より相当時間が押してしまっていて、実を言うと今もまだ黒豆や味噌豆の脱穀作業に勤しむ日々なのだ。

でも、こんなに大変で体調もイマイチながらもしっかり頑張れるのは、やはり収穫のよろこびがそこにあるからなのだろう。
時間はかかってもいい。着実に丁寧にやっていければそれでいい。

実りの秋、生命の歓びに乾杯!
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【2009/11/26 23:48】 | 農的生活日記 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
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